川の底

2002年2月

「ねえ、思川に行こうよ」
空気が乾燥して、遠くの日光連山がよく見える冬の日。
私たちは思川の土手を目指した。

そこは最近見つけたお気に入りの場所で、
秋には、簡単に作ったお弁当を持って
川や雲を眺めたり、寝ころんで昼寝をしたり
ぼーっとした休日を過ごした。

冬の日の土手は、
冬枯れの木が空に網目模様を作って
その向こうには、飛行機雲が細い線を描く。

空気は冷たいけれど、風もなく日差しは暖かい。

やすのぶがジープの運転席、私は助手席で
ポメラニアンのメイは後部座席から外を眺めている。

「川に水がないよ。砂地が広がってる」
「行ってみたい!」

何度かこの道を通ったはずなのに
干上がった川に気づいたのは今日が初めてだった。

土手から川へ降りる道を見つけ、
川のほうに向かうと、背の高い葦が壁を作るように伸びている。
その葦をかき分けるように、けもの道が作られている。

葦原


「タヌキかしら、この道を作ったのって」

「いや、魚釣りのために作ったんじゃないかな」

その言葉どおり、枯れ草の道を進むと、
椅子ひとつ分くらいの釣り場が現れた。


春になれば、ここで釣り糸を垂れるのだろう。
川を泳ぐ魚の影が目に浮かぶ。


「川の底に降りてみようか」

デコボコとした急勾配を危なげに下りる私に
「ほら、こっち」
と、小さな子供の手を引くみたいに、やすのぶが手を差し出す。
そして、手を繋いだまま、私の少し前を歩く。
足にさくさくとした砂の感触が伝わる。
後ろには二人の足跡が並んで続いている。
メイは、尻尾をブンブンさせ、砂を蹴って走っている。

カラスだろうか。無数の足跡が見える。

川底には何があるのだろう?
海辺を歩くときのように、小石を探してみたが
思っていたよりも何もない。
石はどんどん小さくなって、下流に流れていったのだろう。

「あ、こっちは潜るよ」
「子供の頃は川で遊んだよね」
「細長い水草がたくさん生えていたの、思い出した」

話しているのは私で
やすのぶは黙って話を聞いているだけ。
でも、繋いだ手が、時々ぎゅっとなって
うんうんと返事をしているのが分かる。


「まるで、水中を歩いているみたいだね」
やすのぶがポツリと言う。

「うん。私もずっとそう思ってた」

透明な水に満たされた川の底を歩いているイメージ。
でも、しっかりと川底を踏みしめて歩いている。

不思議な感覚に包まれて上を向くと、
空のほうに水面が見えて、
水泡がキラキラと光を放ちながら上っていく。

水草と川を泳ぐ魚。
流れのない水に包まれる私たち。

ずっとずっと
私は繋いだこの手を離さないようにしよう。


第11話に続く 


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2017.01.29 Sun l Category: None l コメント (0) トラックバック (0) l top

ペンギン・カフェ

ハレオハナは、ペンギンのいるアパートとして、
ご近所ではちょっとした話題になり、一人二人とペンギンを見に来る人が現れた。

ペンちゃんとギンちゃんは、動物園に比べれば狭い住み家だが、居心地は良いらしく、のんびりと一日を過ごしていた。

ハレオハナの台所にも小さな変化が起きた。

ペンギン見物の人に出したハーブティーとサンドイッチが評判になり、
「ペンギンカフェ」として、お店を開くことになったのだ。

店と言っても、住人たちが朝ごはんを食べるテーブルが、
そのままカフェのテーブルに変わっただけの小さなお店だ。

さとこさんは、以前にも増して台所をピカピカに磨き上げ、
テーブルには野の花を飾った。

友人のサワコが届けてくれる焼きたてパンに、畑で採れた野菜と産みたてタマゴでサンドイッチを作る。

サワコにパン作りのコツを聞くと
「う~ん。きちんと測ってレシピ通りに作ってるだけ。
その日の天気で少しずつ触った感じが違うから、そこは勘かな」

母にトマトの育て方のコツを聞いた時も同じだった。
「お天道様のおかげです」
と、たったひと言。

うちのトマトは、味が濃くて香りが強い。
太陽の恵みを、自然から頂く。
自然を知り、自然と共に暮らすと
きっと美味しいお返しをしてくれるに違いない。



さとこさんは、そんな思いを受け止めて料理を作る。

食材にも命があるから、旬のものを食べてもらいたい。

食べることは命のバトンタッチをすることだと思う。


それからお客様用に、二羽のペンギンが描かれた丸いコースターを作った。

「ごちそうさま。美味しかった」
「自分が食べたもので、自分の身体が作られているんですね」
コースターには、時々メッセージが残されていた。

「ここって、バツイチアパートってあだ名がついてるでしょ。暗いのかと思ったら、そうでもないのね」
自分もバツイチだという女性客も多かった。
身の上話をする人や、涙ぐむ女性もいたが、フレッシュハーブのお茶を勧めると、ホッとした笑顔になった。



「恋人ができますように」
「彼と結婚できますように」
それから時々、コースターに願い事が書いてあった。

ここ、バツイチアパートなんだけど…。

さとこさんは苦笑いをしながら、
コースターを両手で包み込んで、どうか願いが叶いますようにと祈った。

第10話に続く


2016.11.29 Tue l Category: None l コメント (0) トラックバック (0) l top
    
「この子たち、俺のこと見えてるみたいだよ」

「え?」

声に振り向くと、やすのぶがペンギンに餌をあげていた。
掌くらいの大きさの小さめのアジが今日のメニューだ。


ペンちゃんがハレオハナに来てから1ヶ月。
ペンギンは群れで暮らす動物なので、一羽だけでは寂しいだろうと、もう一羽おっとりとした性格のペンギンがやってきた。
ペンちゃんの相方だから、ギンちゃん。
この名前も住人たちが決めた名前だ。
動物園から少しの補助が出て、庭に小さなプールと洞窟のような部屋が作られた。


食堂の隅で、ペンギンたちはアジを取り合うように次々に口に運んでいる。
時々、やすのぶのほうを見ては、クルッと首をかしげる。
そして、ペタペタと彼の周りを1周した。

「散歩に行きたいって言ってるよ」

ユウレイになると、ペンギンの気持ちまで分かるのかと思ったが、それは自分が行きたいだけのようだった。

ペンギンたちは、じっとドアのほうを見ている。
さとこさんは、エプロン姿のままペンギンと一緒に庭に降りた。
冷たい空気に背伸びをするペンギンを横目に、ブルッと身を縮める。
やすのぶはペンギンたちの先頭に立ち、おいでおいでと手招きしている。
ペンギンたちは、花を見たり、小石を飛び越えたりしながら歩く。

「知ってる?ペンギンは群れで海に向う。そして、群れの中から最初の一匹が海に飛び込むまでは、誰も海に入ろうとしないんだ」

最初の一羽、ファーストペンギンが無事にエサにありつけたことを確認してから、その他のペンギンは海に入るのだという。

「それって、勇気がある行動ってよく言われるけど、本当にそうなのかな。単にせっかちで、人より早くエサにありつきたいって思っているだけかもしれないよ」

最初に飛び込むのも、様子を伺うのも、性格と言ってしまえばそれまでだけど
きっと種として生き残るための、それぞれの役割分担があるのだと思う。


ペンギンたちはふと立ち止まり、じっと前を向いている。
その目線の向こうに何が見えるのだろう?


そういえば、いつも前を歩くのはペンちゃんのほうだ。動物園では、仲間のペンギンに馴染めずにいたが、今は、ギンちゃんの前を歩いている。



「ねえ、俺が死んだことも、きっと意味があるよね」
ペンギンの頭を撫でながら、やすのぶが言った。


どんな意味があるの?

それは、何度も何度も繰り返した問いだった。

今はまだ、分からない。
いつか、ちゃんと分かる日がくるのだろうか。



「あ、ペンギンさんだ!」
学校帰りの子どもたちが駆け寄ってきた。
二羽のペンギンは、プールを目指してペタペタと歩いている。
第9話に続く
2016.11.13 Sun l Category: None l コメント (0) トラックバック (0) l top
ペンギン


オハナ会議から2週間が過ぎ、やすおと子どもたち、そしてペンギンのペンちゃんが引っ越して来た。
ペンちゃんというのは、オハナ会議で決まった名前だ。

低い段差をひょこっと飛び越えながら、よちよちと歩くペンちゃんの後ろを、子どもたちが追いかけて歩く。
最初は、おっかなびっくり。そして、少しずつ距離を縮めながら。

「念のために言っておきますが、ペンギンは北極にはいません」
「え?そうなの?」
「南極だけだよね」

ハレオハナの食堂に住人を集めて、飼育員やすおさんが説明をしている。

「南極だけでもないんです。南半球の南アメリカやオーストラリア、ニュージーランドなど南極の近くにも繁殖地があるんですよ」

ペンちゃんはケープペンギンで、アフリカが故郷だ。

「餌は冷凍の魚を解凍したものをあげます。匂いや鳴き声は、多少気になるかもしれませんね」
「一番大事なのは、ストレスがない生活なんです。かわいいからと言って、むやみに触ったり、びっくりするような声を出したりしないようにしてくださいね」

やすおさんは、おっとりとした性格で、話し方もゆっくりだ。年令の割に髪が薄っすら、体型はぽっちゃりとしている。

ハレオハナの女性陣は、バツイチ男性が引っ越してくると聞き、それぞれに思いを巡らせた。
「うん、悪い人ではないね」
「けっこう、汗っかきだよね」
「動物を好きな人に悪い人はいないって言うし」
「カピバラに似てる(笑)」
イケメンではなかったけれど、いい人そうというのが、共通の意見だった。

「ハゲでデブなのが、動物には好かれるみたいで(笑)」
と、やすおさんはカピバラのような笑顔で話を続けた。

カピバラが笑ったとこって見たことないわ…。
でもきっと、こんな感じね。
さとこさんは、やすおさんの話を聞きながら思った。


「この子は、あ、ペンちゃんは、餌の時間もわれ先にというところがなくて、どんどん後ろに下がってしまう。誰かと遊ぶというよりは、一羽でいることが多くて。それでも、自分なりに楽しそうではあるんですが」

人間の世界にも同じタイプがいるなと思う。
心が優しいから、人に順番を譲ってしまうのか、自信が持てなくて、前に出ることが出来ないのか。
本当のところは分からない。

「私に出来ることは、他のペンギンと同じくらいは餌が食べられるようにすることと、見守るくらいしかないんですけどね」
ペンギンの世界にも、ケンカ早いのや、そそっかしいのや、世渡り上手なのまで、いろいろと個性があるという。

「よく言うじゃないですか。過去と他人は変えられないって。ペンギンなんてもっと変えられないですよ(笑)
ペンギンは変えられない。それなら、自分はどうすればいいか。寄り添ってみると、きっと見えてくると思うんです」

食堂の隅に、ペンちゃんはゴロンと横になっている。その周りには、子どもたちが同じように寝転がって「ペンギンごっこ」をしていた。

私もやってみよう…。
さとこさんは、ペンギンになった自分を想像して、くすっと笑った。

第8話に続く


2016.10.16 Sun l Category: None l コメント (0) トラックバック (0) l top
ペンギン


バツイチアパート「ハレオハナ」に、部屋を探しているという男が訪ねてきた。
動物園で飼育員をしているというその男はやすおと名乗り、
「ペット可物件を探しているんです」
と言った。

やすおは小学3年生の息子と小学6年生の娘と3人暮らし、
バツイチの条件はクリアしていますと、照れ笑いをしながら台所の椅子に腰掛けた。



「実はペンギンを飼いたいと思っているんです」


ペンギンを飼う…? 

さとこさんは列を作って動物園の中を散歩するペンギンを思い浮かべた。

「この子なんです。ケープペンギンという種類です」
やすおは1枚の写真を見せた。

実は、どうしても他のペンギンに馴染めずにいるペンギンがいる。
そのペンギンを担当者のやすおが面倒を見るということになったそうだ。

「園長が家で飼ってみたらどうだって言うんですよ。いや~。そんなこと出来るのか?と思いましたよ。動物園の設備じゃなくて、家ですからね。風呂をプール代わりにして…とか、部屋の隅に小屋みたいなねぐらを作ればいいのかとか…」

「実際に家で飼うとなると、匂いや鳴き声の問題も出てきますしね」

「餌は冷凍した魚を解凍して食べさせるんです。一度冷凍しないと寄生虫が心配なので。あと、冬毛と夏毛が抜け替わるんですが、それはマメに掃除をすれば、問題はないかと」

やすおは今までの経緯を話しながら、何度か額の汗をハンカチで拭った。

そして、具体的なことを考えていくうちに、ペンギンと生活をするのも悪くないと思えてきたそうだ。

しかし、子供と3人暮らしの自分だけでは、荷が重すぎる。

ペンギンにとっても、いい環境の住まいはないだろうかと、家探しをしている時に、ハレオハナの噂を聞いたのだという。

「住人が家族のように暮らしているアパートなら、ペンギンも受け入れてくれるのではないかと思いまして」

氷がたくさんいる?
ずっと冷房をして冷やしておくのかしら?

あたまの中に「?」がいっぱいになったさとこさんに、
「ペンギンは寒いところにいるイメージがありますが、ケープペンギンは南アフリカ生まれ、日本の気温でも問題なく生きていけるんですよ」
とやすおは言った。

そうか、ペンギンは南極にいるだけじゃないのね…。

「住人を集めて、オハナ会議をしましょう」

さとこさんは、ペンギンの写真を手にとって立ち上がった。

台所には連絡事項が貼り出されたコルクボードがある。

そこに写真をピンで留め、

「住人の皆様、
至急相談したいことがあるので
明日の夜はお時間をください」

と書いた紙を貼った。

心の中で、散歩にはヒモがいるのかしら?と思いながら…。



第7話に続く
 
2016.09.23 Fri l Category: None l コメント (0) トラックバック (0) l top