21世紀美術館

日曜日の夜9時。
こんな時間に美術館を訪れる人は少ないらしい。
庭のオブジェで恋人たちが闇を楽しんでいるくらいで、
夜の真ん中に、円形の建物が静かな光を放っていた。

ドアを開けると、右側にあるカフェでは、客を待つウェイターが遠くを見ていた。
この時間は無料開放されているので、受付も無人だ。

昼間は賑やかにたくさんの足跡が残された廊下も、
壁際にずらりと並んだ椅子も、
真っ白な壁も、今はシンとしていた。

足音が、館内の空気を揺らす。
立ち止まると空気も立ち止まる。

天井のほうから、コツンと乾いた音が聞こえた。
空耳だろうか?
耳を澄ますとまた、空気をパキンと割ったような
小さな音がした。


廊下を右に曲がると、目的の作品がある。
石造りの正方形の部屋は、部屋自体が作品で、
天井が正方形に切り取られて、空が見える。

昼間来たときは、天井から青い空と雲が見えた。
それから飛行機が尾を引いて四角い空を横切った。
大勢の人が空を見上げて、光を受け止めていた。

今は誰もいない。
星ひとつない漆黒の空がそこにあった。
じっと見ていると天井に黒い紙が貼ってあるかのような錯覚に陥った。


どれくらいそこにいたのだろう。


ふと空気が揺れて、隣に少年が座っていた。

白いセーターにブラックジーンズ、細長い脚をまっすぐ前に投げ出して
空を見上げながら、彼は言った。
「ねえ、知ってる?」

「雪の日は、空から雪が落ちてくるよ」


「雨の日は、傘をさして眺めるんだ」


「風の日は、スカートを履かないほうがいい」


少年は毎日、ここで空を眺めているのだという。
光が通り過ぎていくのを調べているのだと。
「それが僕の仕事だから」と彼は言った。

セーターの袖口から細い指がのぞく。
吐く息が少しだけ白くて、
それで、寒いことに気づいた。

「一番好きなのは、雨あがり。床の水たまりに、空が映って天井も地面も空になるんだよ」

少年の声に頷きながら、いくつもの光がこの部屋を通り過ぎていく風景を思った。

「星を探そうよ」と少年は天井を仰いだ。

言われて空を見ると、またコツンと音がした。

足元に木の実がひとつ転がって、少年の姿はもう、見えなかった。





2019.03.10 Sun l Category: None l Comments (0) Trackbacks (0) l top
kudakajima


マイコのオバァから彼女が死んだと連絡が来た時、僕は「すでる」を思い出していた。

「すでる」は、あの世に帰り、この世に現れることと言えばいいのだろうか。

彼女は、しばらくの間意識がなく、長いこと眠っていたという。
時には微笑みを浮かべたり、時にはうっすら涙を浮かべたり、長い夢を見ているようだったと、オバァは話してくれた。
ゆっくりすでるに近づいて、そして、あの世へと帰っていったのだと。
 
沖縄では、人はニライカナイから来て、ニライカナイに帰る。
マイコは現世での生を、すでるに近づくための時間として過ごしていると言っていた。

眠っているようなマイコの手を握って、「今どこにいるの?」と問いかけてみる。
 
この世に残された僕らは、この現実をどう受け止めればいいのか、
なぜマイコが死ななくてはならなかったのか、答えのない迷いの中で、僕は泣いていた。

「沖縄には、ぬちどぅたから、命こそ宝という言葉があるんだよ」
オバァは僕に穏やかな笑顔を向けて話を始めた。

「戦争で大勢の人が死んだ時に、もう平和が訪れるだろうから、
これ以上悲しまずに命どぅ宝(ぬちどぅたから)、命を大切にしなさいという意味なの。
今では戦争はないけれど、小さい子どもが亡くなったり、
突然の事故で大切な人が命を奪われたりすることは、やりきれないねぇ。
なんで神さまは、そんな酷いことをするのかねぇ」

神さまがいるなら、その理由を聞かせてくれ。
僕はきっと、そんな顔をしていたのだろう。

「もしかしたら神さまは、ぬちどぅたからを伝えるために、マイコを連れて行ったのかもしれないね」

オバァの顔に光が差し込んで、神さまのように見えた。きっと、何度も何度も誰かを見送ってきたのだろう。
その言葉には、重みがあったけれど、それをすんなり受け入れるほど、僕は大人になれなかった。



僕のいない世界で、新しい生を始めたマイコ。
 
あの世に帰り、この世に現れることがすでるなら、
もしかしたら、マイコはもうこの世に現れているのかもしれないね。

僕たちはまた、いつか巡り会う。
きっとまた。
2019.01.27 Sun l Category: None l Comments (0) Trackbacks (0) l top
やんばるアートフェスティバル


蚕の幼虫は、自分で糸を吐き繭玉を作ると、その中でさなぎになり
しばらくはじっと何もせず、羽化して成虫になるのを待っている。

「不思議だと思わない?羽根もない芋虫が、全く違った形に生まれ変わるんだよ」

小学校の理科室で、白い繭玉を眺めながらマイコは目を輝かせて言った。
あの時僕は、繭玉よりも透き通ったマイコの頬が、自分のすぐ隣りにあることばかり気になって、
蚕の一生なんてどうでもいいと思っていた。

そして中学に入る時に、マイコは沖縄に引っ越していった。

もう二度と、会うことはないだろうと思っていたのに、
三十年後、僕たちは沖縄の離島で再会した。
空が海を写すのか、海が空を写すのか、
青と青が重なり合う浜辺にマイコは立っていた。

彼女は、さなぎから羽化して女になっていたが、僕にはすぐに分かった。

日に焼けた透明感のある頬も、何かを真っ直ぐに見つめる眼差しも変わっていない。

海辺で貝殻を拾って、貝塚に置きに行くのだという。
貝殻を拾おうと腰を屈めるたびに、サラサラと長い髪が砂を撫でる。

「貝塚はね、あの世に帰り、そして、この世に現れる場所なんだよ」
 
「昔の沖縄ではね、死んだように静止している状態の中から、新しい命が誕生することを『すでる』と呼んだの。
そして、貝塚に貝や土器を置き、『すでる』を前祝いしたの」

「すでる」は、母親から「生まれる」ことと区別され、
変態と再生を意味すると説明してくれたが、内地で育った僕には難しかった。

「生まれ変わりと言えばいいのかも」

すでるは、鳥のひなが卵の殻を破って生まれてくることでもあり、
秋に枯れた花が、冬の間は土の中でじっとして、春にはまた芽を出すことにも似ている。


人が生まれることは「すでる」とは違う。
けれど、自然界では、死ぬことが新しい生に繋がっているのなら、
人も同じように死んで、生まれればいい。

私はまだ、長いさなぎの期間を過ごしているの、とマイコは言った。
ゆっくり、ゆっくりと時間をかけて「すでる」に近づくのだと。



2019.01.17 Thu l Category: None l Comments (0) Trackbacks (0) l top
電話


「3年前の妻につないでください」
 
 
「佳子か?娘の受験のこと、お前にばかり任せていて、
すまなかったね。
立派に育て上げてくれてありがとう」

私は電話交換手をしています。

ここには過去や未来につながる電話があり、
言えなかったことや、伝えたいことを話に来る人が訪れます。
 
ただし、それからの人生を変えるようなことは、
言ってはいけないので、私が見張り番をしているのです。

不思議と未来への電話は少なくて、皆さん、振り返ることのほうが多いようです。
  
「元カノに電話お願いします」
  
昔の彼女に電話をしても何も解決しません。
後悔しても仕方がないこともあります。
  
「中学時代の自分に電話をお願いします」
  
昔の自分と話したいという人は、女性が多く、
当たり前ですが話が合うようで、すっきりした声で電話を切ります。 
  
  

「7年前の母につないでください」

  
少し東北なまりのある女の子でした。 
  
  
「お母さん、私ね、体育館に集まって、みんなで歌を歌ったの。
どんどん水が増えてきて、身体が冷たくなったけど、
大丈夫、大丈夫って励ましあって、一番仲良しのみっちゃんと手をつないでいた。
怖くなかったって言えば、嘘になるけど、
みんな一緒にこんな団結したことはなかったなって思ったよ。

だからお母さん、仕事を切り上げて帰らなくていいから」
 
 
そこで私は、強制的に電話を切りました。
未来を変えることは出来ません。
 
女の子は「ごめんなさい。ありがとうございました」と電話を切りました。
 
言えなかった言葉、届かなかった思いを伝えたくなったら、
電話をかけにきてください。
 

2018.03.27 Tue l Category: None l Comments (0) Trackbacks (0) l top
あじさい

「ひとつだけ、
永遠と呼べるものがあるんだけど、知ってる?」

台所のイスに座っていた、やすのぶが言った。

天国から時々現れるあなたこそが、
永遠なのではないかと、さとこさんは思った。

「死んでもね、
永遠の命がもらえるわけではないんだよ」

なら、永遠なんてない。

人は生まれた時から別れに向かっているし、
私自身もいつか終わりがくるだろう。
さとこさんは、心の声でやすのぶに伝えた。

「そうだね。
命は永遠ではない。
もし、僕に永遠の命があったとしても、
相手がいなくなれば、
そこで二人の間の永遠は終わってしまうからね」

外は雨が降っていて、
テーブルに飾ったあじさいが
雨を恋しがるように窓を見ていた。

「ねえ、君が、大事にしたいこと、
誰かに伝えたいことがあるなら、
それを一心に伝えて欲しい。
言葉でもいいし、生き方でもいい」

やすのぶは、いつもより透けて見えた。
雨のフィルターを通して、
柔らかな光に包まれているようだった。

「一心にね。
そしたら、君の思いは誰かが受け止めるだろう。
このアパートの住人かもしれないし、
カフェのお客さんかもしれない。
いや、これから会う誰かなのかもしれない」

「その一心な思いは、
やがて多くの人の心をひとつにする」

「そしてその人は、
その思いをまた誰かに伝えようとするだろう」



「分かるかな。それが、永遠なんだよ」


食べ物は美味しく頂くこと。

ありがとうと言葉で伝えること。

相手を思いやることを忘れないで。

笑顔でね。

さとこさんは、自分が大切にしていることは、
出会った人たちから教えてもらったことだと気づき、
ハッとした。

そうか、私も永遠の一部になっているんだ。

ふとイスのほうを見るとやすのぶの姿は、
もうそこにはなかった。


第13話につづく
2017.06.01 Thu l Category: None l Comments (0) Trackbacks (0) l top